2008年08月03日

ダークナイト

バットマンの新作「ダークナイト」を見ました。

ネタバレがありますので、見る予定のある方は、読まないでください。

最近バットマン映画からは遠ざかっていたのですが、ジャック・ニコルソンのジョーカーが強く印象に残っており、好きな悪役の一人となっていたので、ヒース・レジャーのジョーカーはいかほどなものか見てやろうという思いから、鑑賞に行きました。

正直なところ、気持ちがすっきりするような映画ではありませんでした。そもそもバットマンは、ヒーローでありながら、ダークな面が強いわけですが、MRフリーズの逆襲とか、普通のブレイクバスター映画的なものもあったわけで、私としても、どうせ悪を倒してめでたしめでたしという感じなんだろうなと思っていたので、裏切られてしまいました。

ヒース・レジャーのジョーカーは、本当にいかれた犯罪者風で、落ち着きのない言動や、セリフの端々でよだれをすするような音をだすなど、生理的に嫌悪感を感じさせるような演技はすごかったです。
そして、その行動は、バットマン側に感情移入をしている観客としては、裏をかかれ続けるもので、しかも、最終的にもすっきりしないまま、悪の健在をアピールし続け、決して安心させません。
そのいかれっぷりは、最近で言うと「ノーカントリー」のおかっぱ殺人鬼であるシガーを彷彿させますが(そういえば、ハービー・デントがコインを使っていたのも、シガーを思わせます)、ジョーカーは一般人の恐怖心をもてあそんで、更なる混沌を生み出そうとする点で、より悪質であるといえます。

また、バットマンが信頼を寄せていた新任検事も、愛する者を奪われたショックと、ジョーカーの言葉巧みな誘導によって、ルールを超えて復讐に及ぶ鬼と化してしまいます。

弁護士として、ジョーカーのような被告を弁護することとなったら、本当に大変だろうなと思いました。それでも、その被告の言い分を適切に法廷に検出しなければならないとは思いますが、到底裁判員の納得は得られないでしょうね・・・。その点、ハビー・デントの方は、同情の余地はありますが、ゴードンの家族にまで手を出そうとする点はやはり逆恨みといわざるを得ないと思います。

この映画をみて、人はそもそも破壊的な欲動を持っており、文化や教育によって、そういった欲動を押さえるように教化され、生きているものの、そういった社会生活のルール自体に意義を見いださず、「自由」に欲動の赴くままに行動する人間が出た場合、そういった人間を止めるためには、暴力以外の方法がないと考えられるが、その人間を暴力をもって制した場合、結局は、相手と同じくルールを破ってしまっているという矛盾に陥ってしまうのではないかなどと考えたりしました。バットマンが、ジョーカーを捕まえいたぶっている際に、「そのまま殺してしまえ」と思ってしまう自分に気付いた時には、その暗い衝動に我ながら驚きを禁じ得ませんでした。

また、如何に、現代社会がそこで生活する者のお互いの信頼の上になりたっているのかということ(私があなたを殺さないから、あなたも私を殺さないでねといった信頼)、そして、その信頼の基盤は如何に脆いものかということも(だれでもいいから人を殺したかったという人が多数をしめれば、経済活動や社会活動などは麻痺せざるを得ない)、昨今の事件を思い出しながら考えさせられました。

一方で、ジョーカーから爆発予告をされた2隻の船が、相手を爆破すれば助けてやると言われながらも、最後まで爆破ボタンを押さなかったこと、孤独なバットマンでも、その周囲には彼を支えてくれる少ないながらも優秀な人々がいてくれていることが、数少ない救いとして描かれていました。

確かに、人間は弱く、残酷な面もあるかもしれないが、それでもなお、互いを信頼することができ、利他的な思いや本能的な道徳感情を有しているのではないかという淡い期待を抱きながら、かつ、それを自ら実践していくことが、ジョーカーのような悪に負けない生き方になるということでしょうか。

ともあれ、演技面でも、映像面でも、ストーリー面でも、一件の価値はありますので、ご覧になってはいかがでしょうか?
posted by ヒロポン at 18:42| Comment(33) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

事実認定について

久々に不満を書きたくなったので、投稿します。

これまで私は、裁判官には身体拘束を受けた被告人の気持ちは分からないとか、人権意識が低いとか言いながらも、それは制度上やむを得ない部分もあって、最終的には、裁判官も、被告人の言い分を理解してくれる、一生懸命訴えれば濡れ衣は晴れ、無辜は処罰されないものと楽観的に思っていました。法律解釈や要件の当てはめなどと言った評価次第の部分ではなく、被告人が犯人かどうか、犯行自体が存在したかどうかといった事実認定の部分については、裁判官と弁護人とが見ているものは同じだと思っていたのです。事実認定の専門家集団たる裁判官を信じていたのす。だからこそ、裁判員制度に対しても、プロの認定に横槍を入れるものとして、懐疑的でありました。

しかし、現実はそうではなかったようです。

当然、裁判官の中にも、当事者の言い分を真摯に聞き取った上で、丁寧な事実認定を行う人もいます。ただ、どうもそういった裁判官は少数のようです。

裁判官は、現代刑事訴訟が施行されてからの長い年月をかけ、組織を上げて、事実認定の技法を編み出して来ました。それは、神ならぬ身において、過去の出来事という「限りなく遠い事実」に少しでも近づくための道具作りであったはずです。しかし、帰納法によって得られた道具はあくまでも「道具」であって、一般的に正しい結論を導きうるものではあっても、必ず正しい結論を導く絶対的なものではありません。
ですから、裁判官は、そういった事実認定の技法を利用しながらも、当該事件の特殊性を加味し、当該事件において特殊な事情があり、一般的な道具を利用しても正しい結論が得られないような場合には早々に定石を捨て去ることも含め、真実発見の為に一つ一つの事件と真剣に向かい合うべきなのです。
少なくとも、事実認定が困難なときに、一般的な事実認定の技法に大まかな事実を当てはめれば犯人である蓋然性が高いから、その他の事実は捨象して判断しても、裁判官としてはやるべきことをやったなどと開き直ることは許せません。
裁判官として、事実認定が困難であって、真偽不明に窮した際の逃げ道としては、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が存在するのですから、安易に一般化された法則のみを盲信する必要はありません。

正直、「痴漢を受けた被害女性が嘘を言うわけない。被告人は痴漢犯人だし、自分の罪を免れようとして延々と嘘を付いている。被害女性の供述で不自然な部分は合理的に考えればおかしくないが、被告人供述の不自然な部分は致命的である。だから、被告人が犯人だ」などといった事実認定をされるのであれば、一般人である裁判員の方が、慣行や定石を知らない分、より自由で適切な事実認定をしうるのではないかと思います。

また、裁判官として、検察官が起訴までする事件については、ほとんど有罪であって、真犯人が告白するような例外的な場合でない限り、検察官の主張に従っておけばよいし、逆に、被告人は犯罪者だから良く嘘をつくので、決して騙されてはいけない、などと心底思っているのであれば、裁判なんてものは茶番に過ぎず、弁護人も裁判官も不要であって、「事実を争っている被告人はサイコロを振り、6の目が出たら無罪」とかいうルールを作った方がよっぽど納得がいくのではないかと思わずにはいられません。まあ、極論ですが・・・。

と言うわけで、夢を抱いていた一法律家は、現実に圧倒されました。どんな事件であっても有罪の判決が書けるように特訓する司法研修所教育の下で大きくなった偉い裁判官に、自らの甘さを思い知らされました。もう、裁判なんてものには期待をせず、本当に無実の罪を着せられようとしている人については、大きな起訴裁量を有する検察官と起訴前に上手く交渉して、何とか起訴されないように頑張りたいと思います。起訴されれば、後はベルトコンベアーですから。

冤罪が生じた場合、不当な捜査をする警察官や検察官、事実の吟味を怠った弁護人にも当然責任がありますが、何より事実認定賢者である裁判官に極めて大きな責任があるといわざるを得ません。

怒りにまかせて書いたので、これまで以上にまとまりがありませんが、気持ちを察していただければ幸いです。
posted by ヒロポン at 23:31| Comment(9) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

交通事故の厳罰化

コードギアスの展開にびっくりです。
まさか、行政特区の流れからあんな結末になろうとは・・・。
視聴者を「気持ちよく」しない流れ、いいです。
ただ、一話だけ録画し損なった回があるので、再放送希望です。

それはともかく、交通事故について、ちょっと思うところがあったので、書きます。

最近(でもないけど)、交通事故の被害者ないし遺族らの側から、交通事故の加害者への厳罰化を求める声が上がっております。
現に、そういう流れによって、業務上過失致死傷罪(以下「業過」といいます)の法定刑は上がってきましたし、危険運転致死傷罪という罪も創設されました。
しかし、法定刑が上がったといえども、現在はその上限が懲役5年であること(窃盗は懲役10年が上限)、危険運転致死傷罪を適用するには、飲酒運転や超高速運転によって生じた事故であることなどの要件が必要ですが、事故後にアルコールを飲んでから出頭・通報したり、ひき逃げして後にアルコールが抜けてから出頭したりなどという場合には、事故時の飲酒状況が明らかとならずに適用できなくなることなどから、さらなる厳罰化が求められているということです。

しかし、飲酒運転のようにほとんど故意の犯罪と同視できる場合ならともかく、それ以外の「ついうっかり」という不注意によって生じてしまった事故の場合、まず、厳罰化がどれだけ事故防止に結びつくのかは疑問です。運転者としても事故を起こそうと思って起こしている訳ではないのですから、たとえ事故を起こせば原則実刑だとしても、事故は起こってしまうと思われます。
また、刑法上、故意による犯罪は、過失による犯罪に比して責任が重いと考えられています。つまり、刑法という禁止のルールを認識していたのに、あえてそれを無視した場合(故意犯)には、それに対して強い非難が可能であるのに対し、過失犯の場合は、注意深くしていれば結果が生じなかったのに、不注意だったということを非難するのであって、故意の場合と質的に異なると考えるのです。故に、窃盗よりも業過が軽くなることは十分肯定できるということになります。

ということからすれば、安易に業過を「厳罰化」するということは、事故防止にも資さないし、故意犯と過失犯との違いという現在の刑法のとっている原理を乗り越えてしまうことになりかねないと思います。

なお、業過の法定刑の上限を20年にしたとしても、事案に応じて軽くしたり重くしたりすることは出来るし、そのことが被害者らの気持ちにも資するはずだと、先日見たワイドショーのコメンテーターが言っておりました。
しかし、それを言い出すと、そもそも犯罪ごとに法定刑を定めていることも必要ないということになりかねません。この発言の裏には、裁判官は、事案に応じて適正な量刑が出来るという信頼が隠れています。しかし、裁判官も人間でありますし、また、司法権という権力を司る国家組織でもあります。故に、その暴走を予防するため、あらかじめ国民の代表によって組織された国会の作った法律によって、その権限を制限しておく必要があり、それが法定刑という形になっている訳です(まあ、日本の法定刑は他国よりも裁判官の裁量を許しているようですが)。さらに、今後裁判員制度が始まれば、量刑判断はどうなるか分からないのですから、やはり法定刑を定めておくということは、必要であるといわざるを得ません。

実際に、交通事故の被害者・加害者両方の代理人をやってみると、飲酒運転などの悪質な過失の事案等をのぞいては、両者とも「被害者」であると感じずにはいられません。
確かに、事故によってけがをしたり、愛する家族を失ったりすることは大変悲しいことです。しかし、加害者の側にも、多額の損害賠償が生じたり、会社を解雇されたり、家族が離散したりと様々な不利益が生じます。どちらか一方が悪いとか、どちらか一方が可哀相とか言い切れないものがあります。
マスコミも、被害者・加害者両面からの目線で、取材・報道して欲しいと思います(これに限らず、物事は多面的に見るべきだと私は思います)。

今日のような高速交通社会・自動車社会においては、交通事故は不可避なものともいえます。だから、そのような悲しい事故が起きないように、自動車のシステムの面(車間が縮まると警告するとか、飲酒を感知するとエンジンがかからないとか)や、道路の作り方の面(交差点の死角をなくすとか、住宅街ではスピードが出せないように障害物を設置するとか)などを工夫し、出来るだけ事故が生じないような対策をとっていくべきだと思います。
交通事故が、刑事裁判の場に出てくる機会が、少しでも減少することを望んで止みません。
posted by ヒロポン at 17:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

ファーストガンダム

国会議員は、1本5000円もする「なんとか還元水」をお飲みなのですね。庶民は水道水を飲みますよ! 1本98円の南アルプスの天然水を飲みます! どうして目線があんなに高くなってしまうのでしょうか・・・偉くなるってそういうこと?

子供の頃、劇場版3部作だけを見て分かった気になっていた初代ガンダムですが、DVDが発売されたことから、奮発して購入し、日々見ております。劇場版は、安彦さんがかなりの部分を書き直していたり、合体シーンがなかったり、洗練されている感じですが、テレビ版はなんか混沌としています。90年代のアニメ乱造時代を思い出させる程に、回ごとにキャラの顔が違うし、何だかガンダムの関節が変な風に曲がっているし・・・。

まだ途中ですが、シャアってこんなにへっぽこだったの? って感じです。その割には、ブライトさんとかアムロとかが必要以上にシャアを怖がっていて、なんだかトンチンカンな感じです。いつも負けっ放しで、部下は死んでいくのに最後まできっちりと生き残ってしまうシャア様。ザビ家に対する復讐のために、一兵卒まで巻き込まないでと言いたくなります。

しかし、そんなに混沌としているところや、スポンサーからの圧力を感じさせるところや、毎回始めの数十秒が使い回しでスタッフが大変だったことを感じさせるところなんかがあっても、主人公を中心に描かれる戦いが対局の一面でしかないということを感じさせるところとか(これがために、いろいろな角度から一年戦争を描いた作品等が生じた)、相手が同じ「人間」であるという戦争を生々しく描き出したところとか、やはりエポックメイキングなアニメだったんだなと思わせます。
また、ジオンの兵隊さん達には戦争屋としての渋みがあり、子供向けのおもちゃみたいなホワイトベース隊だけではない深みが、今もなお人気を持ち続けている所以の一つなんでしょうね(ガンダム好きにはジオン好きが多い)。

今回、見ていて心に残ったのが、ミハルとカイの話でした。この話自体は劇場版にもあるので、当然知っていたのですが、今回改めて見て、心を動かされてしまいました。ミハルが死ぬことを知っているからか、弟達に対して「この仕事が終わったら戦争のないところへ行こうね」などと言うところでは、国同士(「なんとか還元水」を飲むような人たち!)が勝手に始めた戦争に巻き込まれた一般市民の悲哀やそれでもしたたかに生きている姿に、とても切ない気持ちになりました。さらに、普段は軟弱者のカイが、なんだか切れ者で(ミハルの正体にいち早く気づく)、ミハルに対して優しさなんかを示したりして、わかりにくい恋愛関係が生じていくところも憎い演出です。おそらく、これまでカイが嫌いだった視聴者も、この回を期にカイを応援しだした人が相当数いるのじゃないでしょうか。この魅力はハヤトには出せませんね。

そんなこんなで、ララアの登場まで進んで来ました。これからが終盤ですので、気合いをいれて見続けたいと思います。

ルルーシュも見てますが、シュナイゼル兄さんが謎です。いったい何を考えているのか、それともロイド並に行っちゃっている人なのか(上司だし)、はたまた何も考えていない単なる天然なのか・・・。今後彼の思惑が描かれることを期待します。
posted by ヒロポン at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

コードギアス

「コードギアス 反逆のルルーシュ」がとても熱いです。

多重に張り巡らされた伏線、CLAMPによる魅力的なキャラクター、「デスノート」的ブラック系主人公が、幼なじみ同士で戦い合うという「ガンダムシード」的ストーリー、サンライズお得意の格好いいメカデザインなど、見所はたくさんです。あ、BGMやエンディング曲なんかもいいです。しかし、鼻歌で出てくる曲が、軒並みアニソンか懐メロというのは人間としてどうかとも思いますが・・・。

さて、どうもロボットアニメを見ていると、スパロボではどう登場するかを考えてしまうのですが、コードギアスについては、スザクは正当派としていけるとして{熱血や魂、ひらめきや集中なんかがつきそうだし、パイロット能力も高そう。愛機のランスロットも、途中で空を飛んだり、アンカーかなんかの解除をしたり(ロイドさんの好物がなにかは気になるところですが)徐々に性能が上がるところがスパロボ好みでしょう}、けもの取りの穴も掘れずに、ブライなんかで出撃してはすぐにランスロットにやられてしまうルルーシュの方は、どうにも使い勝手が悪そうだと思っておりました(精神コマンドも戦略系が多そうで、直接戦闘には向かない指揮官タイプでしょう。しかし旗艦が特にない)。

そうしたら、ガウェインが複座式とは・・・。これで、ルルーシュのパイロット能力が低くても、カレンとかC.Cとかを乗せれば(カレンは紅蓮二式に乗せた方が良さそうだし、C.Cのパイロット能力が高いかどうかは分かりませんが)、戦えそうです。それに、特殊能力のギアスを何らかの形で取り込んだりすれば、また面白そうです(1ステージにつき一回に限り、相手の気力を下げたり、反撃を無効化したり、自由に操って敵同士で戦わせたりといった効果を任意で選べるとか)。主人公が副パイロットなんて珍しいけど・・・。

しかし、黒の騎士団は、ロンドベルとかには組み入れられそうにないですね。第三勢力的に登場して、最終的に仲間になる感じでしょうか? 最近のアニメはストーリー構造が複雑なので、スパロボ制作者の方も、ストーリーを構成するのに骨をおるでしょうね。頑張れ、バンプレスト!!

アニメの方は、とりあえず23話で終了して、その後、24,25話は別の時間に放送し、さらに続編決定ということのようです。このボリュームを考えると、当初から25話でまとめるつもりはなかったのではないでしょうか。まあ、全く反響がなければ無理矢理終わらせたのかもしれませんが(ファーストガンダムのように)。
出来ることなら、地上波で続けて欲しいです。カウボーイ・ビバップみたいにWOWWOWで放送とかいうことにならないことを望みます。


posted by ヒロポン at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。